「辺名地の家」
沖縄県北部の本部町にある週末住宅である。建物は海より1km離れた小高い丘にある集落のはずれの山地を切り開いて計画された。
沖縄らしい家が欲しいという東京に住む依頼者からの要望を受けて、内地とは気候風土の異なる沖縄の生活を思い描いた。
昔ながらの民家ではゆったりとした時間の流れの中で、真夏の炎天下でも日陰をつくる屋根の下にはそよ風がなびいていて、その中で人々が自然に抗することなく、うまく自らの身体の方を合わせいき、無理をせず静かに昼寝でもして昼の暑さが過ぎさるのを待つような豊かな生活を思い描いた。
新しい家はこのような沖縄で継承されてきた生活のペースとそこに漂う空気感を、建築の形態操作を極力避け、何もないけれど、ただ以前の民家と同じような生活スタイルと空気感だけが漂うような場を現代建築で実現したいと考えた。
現在沖縄県全体で年間に新築される住宅の99%以上がRC造であるが、夜も雨戸を開け放ち施錠などせず全開放された、ただ屋根があるだけと言った方が近い風通しのいい沖縄民家のスタイルは失われていくばかりである。
そこで民家の住形式に注目し、風通しの良さを考えてRCラーメン構造を採用し、柱、梁の骨組みの中に板戸をはめこみ、天井を張らず内部においては天井高を高くとり、大きな気積が確保された大らかな一室空間としている。
平面計画は、平面を決定する機能的要求の少ない週末別荘ということもあり、「一番座(床の間)」「二番座(仏間)」「裏座(寝室)」「三番座(食堂)」からなる伝統民家の平面形式を踏襲した。
建物周囲は耐久性と実際の生活を考え、無理をして全開放とせず、はめ殺しガラス窓で視覚的開放感を持たせ、アルミ製引戸からは充分な通風を得ている。
このフラッシュ引戸の内部には横格子とプリーツ網戸を仕組ませてあり、就寝中でも安心して戸を開放できるように配慮してある。
屋根には沖縄の戦後の木造民家の屋根を飾ってきたセメント瓦を用いた。このセメント瓦は1935年(昭和10年)に台湾から技術が導入され広く木造民家の屋根に使われていたもので、いまでも沖縄の田舎の風景をつくる重要な要素になっているが、1965年(昭和40年)県内セメント工場の完成以降急速に広まったRC住宅によって皮肉にも衰退の一途をたどり職人も実質一人、比嘉セメント瓦工場(名護市東江)の比嘉良義さんが残るだけである。
単一素材で全てがつくられていた民家の美しさを、現代の民家であるゼメント瓦と鉄筋コンクリートからなるこの住宅に込めたつもりである。ゆっくりと長い時間をかけ自然の中に風化し同化していく姿を夢想している。
(藤本寿徳) |