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2015年 4月27日
瀬戸内海に浮かぶ豊島に行きました。
ベネッセが手がけるアート活動により、美術館などが建設され多くの観光客が来るようになった島です。
「ど田舎の可能性」について、いたく感銘しました。
いつも日本の美しくない景観を見るとき、外国の美しい景観での体験と比べます。
戦後同じような焼土から立ち直ったのに、なぜこれだけ違うのか?
同じ時間を経過したのに、戦後の歩み方が違えば、こうも結果が大きく違うことを知る事で、今の景観が当たり前のものではないと気付きます。
できたら、1945年に立ち戻って、もう一度今現在の知見で街を作り直すことができたら、もっと美しい景観になったのになぁと残念に思います。
豊島に行っての感想なのですが、とても美しい。
自然の地形と集落以外に余計なものがない。
例えば、商業建築や看板など一切ないから、昔ながらの変わらない素の景観に感銘を受けるのだと思いました。
島全体が(集落やそこでの生活などが)アート作品のようです。
そこに、数多くの芸術作品の設置や、数件の美術館の設置されたわけですが、それらができたことで、より美しくなっています。
新しい美術館ができたら大抵美術館へ行き易いように、メイン通りには、大きな青または白の道路標識などが立ちそうなものですが、そういうものもない。
街中に点在するサインなどは、とても小さく控えめで、そのため、たどりつきたい建物にも、すぐにたどり着けなかったりしました。
その分、集落内を注意深く散策することで、その地域の生活を感じ取れたりするものです。
人口1000人の小さな島、見つけられた商業建築といえば、2軒のガソリンスタンド程度。
信号もなければ、コンビニもなければ、何もない。
何もないからこそ、そこに「注意深く」既存の環境を壊さないように新しいものをインプットすれば、それは一気に島全体が理想郷のような劇的な変化を迎えられるものだと思いました。
尾道市の対岸にある向島や因島に、同じように美術館を建てたらどうなるだろうか?
たぶん、商業建築や雑多なノイズのようなものがすでに沢山あるので、美術館ができても、そこだけが新しくなるだけで、島全体のイメージは大きく変わらないだろうと思いました。
何もない「ど田舎」は、この意味で、何もない=雑音がないという意味でとても貴重な環境だと思いました。
最初に書いた、「もし戦後に立ち戻れたら」が実際に可能なのです。
そこに大きな「田舎の潜在力」が発見できます。
ど田舎の開発には、情熱やお金も必要なのでしょうが、豊島は、そんなど田舎に多くの示唆を持っているように思います。
新しいリゾート開発をやると、これみよがしに大々的に大きく既存環境に介入するすることが多いと思うのですが、豊島のように、こういう「控えめな介入の仕方」がとても見事だと思うのです。
「控えめな」というのがポイントです。控えめというのは、日本の美意識にマッチします。
と同時にこういうやり方が、世界のスタンダードになってきていると思います。
ばーんと建物をたてるだけでなく、美的センスが全てにわたって行き届いています。
当然、美術館も素晴らしい建築でした。
コンクリート以外なにもない。
ガラスも窓も玄関扉も、、照明も水道もエアコンも換気も何も無い。
しかし、そこでの感じ方は、素晴らしい体験ができました。
最小限の介入で、最大の感情の豊かさを手に入れられる。それが真の建築の可能性です。
豊島では、もうひとつ珍しい自然現象に出会いました、虹色にひかる雲を見ました。
環水平アークというそうです。
可愛げのないネーミングです。
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11:44, Monday, Apr 27, 2015 ¦ 固定リンク
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