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2017年7月の沖縄タイムスの記事ですが、辺名地の家でセメント瓦を作っていただいた比嘉良義さんが紹介されています。
辺名地の家の頃、比嘉さんは仕事を辞めようと思われていて、僕が最初に相談した時も、最初はもう作らないと言われていた頃でした。それから半年ぐらい経って、最後かもしれんなと言って引き受けていただけました。
辺名地の家が終わってから、地域からも技術の継承が強く望まれいて、親戚二人が弟子入りして今に至ります。
沖縄で普及した「セメント瓦」 今や工場は1軒だけ 最後の職人「需要ある限り作り続ける」
(転載:2017年7月2日 沖縄タイムス)
沖縄県名護市東江の住宅街にある「比嘉セメント瓦工場」。かつては沖縄各地にあったセメント瓦工場だが、今では唯一ここだけとなった。“最後の職人”の3人は週1回、分業で1日250枚の瓦を汗水流しながら作る。仲間からおやじと慕われる工場長の比嘉良義さん(86)は「いつまで続くか分からないけど、体が動くうちは作らないと。まだ需要はあるんだから」と職人魂をのぞかせた。(北部報道部・城間陽介)
作業は午前7時から昼休憩を挟んで午後3時まで続く。平瓦を渡久地政行さん(77)、比嘉武光さん(73)の2人が、棟部分のアーチ形の瓦を良義さんが担当。手の感覚で丸みをつけるため、熟練の技が必要だ。
セメントを素早く型に落とし込み、形を整え、一枚一枚棚に並べる。丸1日水に浸した後、数日乾かして固める。新築で使われることはないが、修繕用として注文が入るという。
創業は約55年前。16歳で瓦職人を志し、別の工場で下積みした良義さんが兄と独立し、今の場所に工場を構えた。セメント瓦はトタンなどに比べて風雨に強く、赤瓦より安く作れるため、戦後は県内全域に普及。最盛期の1960年代は名護市内だけでも23カ所の工場があったという。特に台風後の注文が殺到した。機械も出始めたが、渡久地さんは「品質は手作りにはかなわない」と話す。
時代が移り、家々は鉄筋コンクリートに変わり、セメント瓦工場は次々に姿を消した。良義さんは「みんな亡くなり、高齢化で続けられなくなった。食べていけないから後継者もいないね」と少し物寂しげだ。
それでも、セメント瓦の家屋は点在する。「必要とする人がいるから作り続ける」。“おやじ”は作業の手を止めずに語った。
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08:43, Thursday, Mar 12, 2020 ¦ 固定リンク
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