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藤本寿徳

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築65年の家屋解体
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祖父が建てた(大工だった)家の解体が始まりました。


終戦から2年経ったころにできたと聞いたので、1947年のこの写真にもできたばかりの家が小さく写っているはずなのですが、
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恐らくココ、よく判りません。空襲のあとの空き地に、徐々に建物が建ち始めている途中といったところでしょうか。

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物資が乏しく貧しい時に建てられた家なので、使用している材料は寄せ集めで、他の家屋からの廃材も下地に多く使われています。
お客を迎えるための、立派な床の間があるような和室など無いそんな町家です。
そのかわり、玄関横に洋間の小さな「応接間」があったのですが、当時の流行のつくりだったのでしょうか時代を感じます。たぶん、応接の機能としては全く使われていなかったんだと思います。

食堂と居間として使っていた6畳の部屋が家の中心で、祖母はちゃぶ台をあげてその部屋に布団を敷いて寝ていました。
家全体の広さを、どのようにそれぞれの部屋(機能)に割り振るかという意味では、今だったら違う作り方をすると思います。

まだ当時は建築基準法や木造の技術的指針などは、たぶん無い時代。また戦前は違う仕事をしていて、終戦後、にわかに大工になったと聞いているので、技術もなく、見よう見まねや知人のアドバイスをもとに素人的につくっていたのだと思います。

基礎、土台も今の基準とはかけ離れています。この写真では基礎立ち上がりにコンクリートブロックが並べれていますが、その他の場所ではレンガが使われています。

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以前から敷地の衛生がこの建物の問題だと思っていました。
長屋状の敷地なので、建物が両隣に密着して建っていることで湿気と風通しがとても悪く、これが木造の家を痛めていていました。

具体的に見えない場所でどうなっていたのか、解体を機に確認してきました。

畳を外した床下は、土なのですが、床下も低く換気も充分に行われないような作り方をしているため、個人的に、土が腐っているんでないだろうかという感覚を勝手に抱いていました。
終戦時から触られていない当時の敷地の土の状態かと思うと感慨深い。

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木材は、湿気がありそうな所はさすがに腐っていて、そうでない所は65年たったといえまだ木材の強度は信用できそうでした。その差が大きい。

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お金をかけない裏の外壁は、スレート平板の脳天打ち付け、じいさん、割り付けぐらい考えろよと突っ込みたくなります。
美的感覚というものよりも、違う理屈が優先してたんだろうなと。にわか作りの建物だと思うのですが、まず「住む」ことを充たすだけで精一杯だったのではないだろうかと感じます。


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大きな地震がきたら確実に倒壊していた建物なので、ひとまずは安心。

しかし、駅周辺部、古い家屋が壊されていく度に、歯抜けのごとく空き地が増えていき、それが、ある程度広ければ中層の集合住宅、そうでなければ駐車場ばかりが増えて町並みがどんどん壊れていく。それに加担していることを悩ましく感じます。


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ブルーシートで覆われて、
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以前はこのような家でした。
ピンホールカメラで撮影した写真です。
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祖父が戦後の生活への夢を託し、自らの体を使って建てた家を壊すのは建築家として申し訳なく思います。
リノベーションという方法もあったのですが、敷地の衛生、構造材の状態から、残してもいいようにはならないし、またこれを触る度胸もありませんでした。
また残念なことに、僕の目から見ていい仕事をしているようには見えなかった。

家が壊される時は、当時の職人と対話ができます。
自分の現場では、建物が壊されるであろう時を常に意識しながら監理をしています。
見えない所、隠れてしまう所が一番肝心です。
下地を見ると仕事の丁寧さが判ってしまいます、また床下のように隠れる所の掃除が不十分ということを最大の恥だと考えています。

「建物が壊される時に恥をかきたくない」
その思いを工務店さんに伝え協力していただいています。
しかし、その思いが伝わらなく、腹立たしい思いをすることがあるのも現実です。
11:29, Wednesday, Nov 07, 2012 ¦ 固定リンク

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