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*どうしても、腑に落ちないことがある。 なぜ、人は密集して住宅を建てるのか?僕の生理的な感覚からすると、他人とは適度な距離を取って接したい。これは僕以外の人にも理解してもらえるだろう。
*いつからなのか?すぐに思いつくのは、日本では平城京、平安京、江戸時代の町家、長屋、 パリやロンドンの石造りの建物が並ぶ町並み、モロッコのカスバ。
*都市に人が集中する理由は判る、また、共通して土地が少なく土地の価値が高いから、より効率的に建物を配置することも判る。
*しかし、生理的な感覚というのを、歴代の人々も持っているのに、そうしてこなかった。 ここに疑問を感じている。
*ニューヨーク郊外(例えばニュージャージー州のリチャードマイヤーの住宅があるような場所)の富裕層の郊外住宅は庭が広く、一つの区画が広いため、区画自体は隣り合っていても家そのものは距離を置かれて配置されていて、この庭には多少、通行人が歩きながら中に入ろうともそう違和感はない。
*google earthで、たまに注意して訪れたことのある外国の郊外、地方都市の町の姿の成り立ちを見ることがある。 子供の頃滞在したことのある米マサチューセッツ州の郊外や、建築見学で訪れた独ウォルフスブルグの住宅街など、その適度な家々の離れ具合が気持ちよかったことが記憶にある都市を、google earthで見直すと解像度が決して高くない画像からでも、「ひろがり」の豊かさを感じることができ記憶が蘇る。
*もっとたくさんの世界の事例を研究すると、現代都市の郊外にいいお手本があるのだが、(推測の話ではあるが)日本における計画でも、もっと幅広い事例研究をしてみたらいいと思うが、都市計画の分野では、そうはなっていないように思える。その怠慢は、市民や開発主や行政に期待、要望されていないからだと思う。
*密集することは、都市計画の問題でもあり、それを良しとする無意識的でもあり潜在的でもある人々の感情にもよるのだろうか。
*密集しない方がいいと思うのに、その議論さえ湧かないことが不思議である。 密集して建てる方法と同じように、距離を置いて建てることの計画手法が研究実践されるべきだと思うが、日本ではいい事例を見たことがない。
*最近の新たな新興住宅地で道も広く緑も配し、電線を地中化し、区画も広く建ぺい率を低く設定しているのを見たことはあるが、それを見ても、ただスケールアップしただけで、根本的に自由な発想で可能性を模索したというまでの感想は抱けない。
*計画することは案外難しいのかもしれないと思う。してこなかったのではなくただ難しいだけなのか。
*自然の地形がそのまま区画となり、適度な距離をとって家々が並んでいる旧農村を見て、日頃豊かだと思っているのは、そういう僕の生理的感覚を充たしてくれるからなのかもしれない。
*この話の流れでいくと、「井原の家」は稀なケースで豊かさを獲得できていると改めて思う。
*1/17に阪神淡路大震災から15年目の日を迎えるにあたり、「密集」することについての疑問を書いてみました |
09:58, Wednesday, Jan 13, 2010 ¦ 固定リンク
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