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(茶室) セパレイトされた、外の空間と中の空間を意識が行ったり来たり二つの世界を往復することで特別な感覚を味わう。 外には新緑の庭園が広がり、鳥も鳴いている。内部は薄暗く狭い室内 建築の要素全てに対して敏感になる。 一人二人のためにしつらえられた狭い空間にいると、その空間と自分自身の中へ向かう意識が生じる。一方、ふとした瞬間、幽かな光や風の音や鳥の鳴き声で、建物外部に広がる新緑の鮮やかな世界に引き戻される。想像力が掻き立てられ外の世界へと意識は空間的にひろがっていく。 意識が内に向かったり、外に広がることを繰り返す中で、世界が浄化され自分自身も浄化された存在になっていく。これが、ミクロコスモスなのかと。
と思う一方で、情報が限りなく限定され己の意識が浄化さたように感じる中で、自分は優れていると、この世界を感じることができるのは、自身のステージが上がったのではないかと、いい気になっている自分の危うさに気付いた。穿った見方をすれば茶室は、空間と情報を限定することで可能となる一種の洗脳装置の構造をしているとも言える。
(書院造り、数寄屋造り) 森は暗く、じめじめしていて時には恐怖さえ感じる。そんな中から切り出された白木の材を組み立て、家をつくる。漆喰の白や聚落壁の色あい、和紙をすき生まれる障子紙の白さ。畳からはい草の香り。自然のものをこれほどまでに清潔なものへと変換してしまう術。 そもそもの建築材料が自然の中にある時の姿を考えると、自然にあるものを利用して書院や数寄屋の清潔で直線的な空間をつくりあげる日本建築の精神性と技術の高さ。
(かよわさ) 現在数寄屋は「かよわさ」を失っている。構造的にしっかりとしているように見える点と、ガラスで内外を明確に区別してしまっている点は技術の進化がアダとなっている。昔の日本建築はこの点において、建物の存在が外に対してかよわい、微妙なバランスの上に立っている。一歩間違えればバラックになるところでの寸止め。 「三匹の子豚」の三つの家で例えれば、わらの家では弱すぎるし、レンガの家では強すぎる。その中間に絶妙なバランスを持つ点がある。
和風堂と縮景園を見ながら、そのようなことを感じた。
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09:48, Wednesday, Apr 15, 2009 ¦ 固定リンク
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