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藤本寿徳

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福山駅前水辺公園プロジェクト(土俵を変える創出派)
都市のビジョン

戦後、日本各地は今から較べれば、どの街もド田舎でビンボーであった。昔の都市は、インフラも整わず不便で、上下水道整備や治水工事もままならず不衛生であったり災害に弱かったり、未舗装の道路をダンプが砂埃を舞い上げて走り回っていた姿を思い出す。

そのような段階においては、経済発展、都市の成長は皆の願いだった。いつのまにか、その目標も既に達成し終え、ずいぶんと安全で衛生的で便利な街になったものだ。
これからも継続的な経済的成長、都市の更新は必要である。街の躍動感が失われ、ヨーロッパの古都のように都市の姿が硬直してしまうのは受け入れがたい。

僕も含めて、現在の多くの人の都市の認識の仕方は、大都市からド田舎まで、日本の町は一つの物差しの上に一直線に並んだ姿で認識してはいないだろうか。
その物差しは、都市の規模という一つの価値基準で序列が形成されているように感じている。これは古臭い認識だと思っている。違った価値を創出しないと、狭い世界に自身を押し込んでしまう。

現在各地で、経済的価値観と自然歴史文化的価値観が対立する。お互いの主張は正しい。
僕は、この議論が、物差しのどこに着地点を求めるかという話であるように聞こえ虚しく感じている。この議論の延長上に理想的な解など最初から用意されていないのではないだろうか。

一方は究極的には大都市の姿をイメージしながら話を進め、片方はかつての郷愁をイメージしながら話を進める。物差しの上では、両端の反対方向へ向いたベクトルの下で話をしている。これだとお互い長所を主張し、相手の欠点を指摘するばかりで、妥協点すらつかめないのではないだろうか。

この物差しに載らない(土俵を変える)ような、地域の魅力を反映した個別解の都市の姿をイメージができたら共に幸せである。
推進派も反対派も抱くイメージが共に古い、想像力が乏しいというのは悲しい結果をもたらす。簡単な例では、沖縄の那覇市新都心「おもろまち」を見て沖縄の地域性が感じられないものになっていて、横浜あたりの新しいショッピングタウンに似ているように見えるのは、想像力をフルに回転させないまま既知の手法で開発を進めた結果と言えないだろうか。
福山駅前に100mクラスの高層ビルが何本建とうと、それで理想の街が実現できるなんてことは誰も信じていないだろうし、理想の街をつくることは既知の手法を使い回したらできるような簡単な話ではない。

かつての物差しを捨て、経済的価値観と自然、歴史、文化的価値観が共生する都市のビジョン(理想像)を築く必要がある。それはまだなされていないように思う。

僕個人のスタンスは、石垣保存が最終目的ではない、福山城の城郭の一部を単純に復活させても、それは社会的意味を喪失した安直な保存になってしまう危険性を孕んでいる。そういう意味では文化財保護審議会、文化庁から出された遺構を史跡に追加指定をするべきとの意見には関心が無い。
頭が固い行政に対して、そこまで言わないと言葉が通じないからの提言ということなら理解できる。

推進派にも、安直な保存派にも、双方に警鐘を鳴らしたい。推進派、保存派が一緒になって創出派を結成してもらいたい。
石垣、お堀を利用して自然の潤いが感じられたり、歴史を思い描けたり、福山の地域性や魅力を一言で説明できるような駅前をつくる。都市からストレスが排除された、潤いのある未来理想都市を表現するような街の玄関口をつくる。長岡正芳さんが描いた福山駅前水辺公園プロジェクトのスケッチには、そのような理想像が描かれているのが皆には読み取れているのだろうか?

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(福山駅前水辺公園プロジェクト に関連する以前の投稿)

福山駅前水辺公園プロジェクト
http://www.jutok.jp/cgi/blog/blog.cgi/permalink/20080108123814

建築文化
http://www.jutok.jp/cgi/blog/blog.cgi/permalink/20080109191940

福山駅前水辺公園プロジェクト(福山城再生計画)
http://www.jutok.jp/cgi/blog/blog.cgi/permalink/20080716112249

福山駅前水辺公園プロジェクト(デザインのきっかけ)
http://www.jutok.jp/cgi/blog/blog.cgi/permalink/20080811163640
12:54, Thursday, Sep 04, 2008 ¦ 固定リンク

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